西暦 | 元号 | 桐生織物及び関連記事 | その他の動き |
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714年 | 和銅7年 | 続日本記によれば上毛野(現在の群馬県)は他の諸国と共に「あしぎぬ」を朝廷に献上 | |
752年 | 天平勝宝4 | 新田郡淡甘郷(タコウノゴウ)より黄あしぎぬ一疋を朝廷に調貢 | 東大寺開眼供養 |
1333年 | 元弘3年 | 新田義貞の軍旗に仁田山絹を使用 | |
1575年 | 天正3年 | 13代将軍足利義輝の侍女から仁田山紬・生絹等の注文書が出される | |
1591年 | 天正19年 | 秀吉が全国統一 | |
1600年 | 慶長5年 | 関ヶ原合戦の折、桐生領54ケ村より徳川方に旗絹2,410疋を献上 | |
1605年 | 慶長10年 | 天満宮内に絹市が開かれる 桐生新町の創設 | 桐生新町の創設 |
1646年 | 正保3年 | 桐生絹市始まる。旗絹の上納(税金)が金納になる | |
1738年 | 元文3年 | 西陣の織物師中村弥兵衛・井筒屋吉兵衛が空引き装置を備え付けた高機の技術を伝える | 越後屋(現・三越)桐生店開業 |
1722年 | 享保7年 | ||
1743年 | 寛保3年 | 中村弥兵衛、西陣の佐兵衛より縮緬(チリメン)を教授され製造 | |
1783年 | 天明3年 | 岩瀬吉兵衛が水車動力の八丁撚糸機を考案する | 浅間山噴火 |
1785年 | 天明5年 | カートライトが力織機を発明 | |
1801年 | 享和元年 | ジャガールがジャカード機発明 | |
1838年 | 天保9年 | 金子善衛門、縞縮緬を造り11代将軍家斉に献上する。これから「お召」の名が生まれる | |
1851年 | 嘉永4年 | お召縮緬仲間成立。 お召の生産12,000反(1か月)を数える | |
1853年 | 嘉永6年 | ペリー来航 | |
1859年 | 安政6年 | 横濱開港 | |
1865年 | 慶応元年 | 江原貞蔵、横浜に絹物店を開き、輸出の基礎をつくる | |
1868年 | 慶応4年 | 江戸、東京に改称、廃藩置県 | |
1872年 | 明治5年 | 富岡製糸場開業 | |
1873年 | 明治6年 | ウィーン万博に出品 | |
1875年 | 明治8年 | この頃、桐生では絹綿交織物が最も多く生産される | |
1877年 | 明治10年 | 第1回内国勧業博覧会開催 | |
森山芳平らが京都の荒木式ジャカードを購入 | |||
1879年 | 明治12年 | 桑原佐吉、小野里商店の依頼で輸出向け羽二重を創製 森山芳平、後藤定吉、化学染色法を学び舎蜜染(セイミゾメ)として宣伝販売する |
エジソン白熱灯発明 |
1886年 | 明治19年 | 佐羽喜六が外国製ジャカード・ピアノマシンを輸入する | |
1887年 | 明治20年 | 日本織物株式会社設立 | |
1888年 | 明治21年 | 藤生佐吉郎・高力直寛が木製紋彫機を製作する | |
両毛鉄道小山ー桐生間が開通 | |||
1894年 | 明治27年 | 桐生電灯会社設立 桐生町内に電灯が点灯する | 日清戦争 |
1898年 | 明治31年 | 横山嘉兵衛、毛織物の東コートを製造 桐生織物同業組合設立 |
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1911年 | 明治44年 | 村田兵作が村田式半木製力織機を完成 | |
1916年 | 大正5年 | 飯塚春太郎オーストラリア向けスパンクレープを製織する | |
1918年 | 大正7年 | 人絹(人造絹糸)使用の「文化帯」を創作 | |
1923年 | 大正12年 | 関東大震災 | |
1924年 | 大正13年 | 豊田佐吉、豊田自動織機完成 | |
1929年 | 昭和4年 | 石北政男、絹人絹交織お召しを製織 | |
1934年 | 昭和9年 | 天皇陛下産業視察で桐生織物視察 | |
1943年 | 昭和18年 | 太平洋戦争で織機14,000台以上供出 | |
1948年 | 昭和23年 | 織機復元計画により桐生は3,000台余の織機を復元 アフリカ向けレーヨンマフラー戦後初の輸出はじまる 以降、民族衣装用ダマスク紋繻子、房付紋マフラー、金糸紋裏切り、ジョーゼット等の輸出が盛んになる |
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1955年 | 昭和30年 | ||
1956年 | 昭和31年 | ダマスク紋繻子が桐生産地の単品品種として生産量最高を記録 | |
1959年 | 昭和34年 | 富士絹が桐生産地の単品品種として生産量最高(550万m)を記録 | |
1962年 | 昭和37年 | 全国織物協技大会において業界初の三部門で団体優勝する 第1回海外見本市及び市場調査を米国、カナダで開催 |
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1969年 | 昭和44年 | 群馬輸出絹人繊織物構造改善工業組合を創立、中小企業近代化促進法に基づく構造改善を実施 | |
1973年 | 昭和48年 | ウィーン万博に出品 | |
1975年 | 昭和50年 | レピア織機が広幅織物の主流となる | |
1977年 | 昭和52年 | 通商産業大臣から「伝統的工芸品桐生織」の指定を受ける | |
1984年 | 昭和59年 | ダイレクトジャカード発表される | |
1985年 | 昭和60年 | ダイレクトジャカード(コンピューター制御)設置始まる | |
1987年 | 昭和62年 | 業界一本化による新生 桐生織物協同組合設立 | |
1994年 | 平成6年 | 群馬県ふるさと伝統工芸品に「桐生織」が指定される | |
1997年 | 平成9年 | 桐生織物会館旧館(現・桐生織物記念館)が、国の登録有形文化財に指定される | |
2002年 | 平成14年 | 織物工場の「のこぎり屋根」シンポジウムを開催 | |
2008年 | 平成20年 | 「桐生織」が地域団体商標に登録される | |
2014年 | 平成26年 | 続日本記への記載の年から1300年 | |
2015年 | 平成27年 | 日本遺産 かかあ天下―ぐんまの絹物語―の構成施設として文化庁より認定される | |
2018年 | 平成30年 | 歴史的風致形成建造物 第1号として、桐生市より指定される | |
2020年 | 令和2年 | 「KIRYUtextile」が商標登録される |